2014年の劇場デビュー作「マジカル・ガール」で第62回サン・セバスチャン国際映画祭グランプリ&監督賞を受賞したスペインの鬼才カルロス・ベルムトが、ゲームデザイナーの青年が思いもよらない“怪物”を作り出してしまう姿を独創的なストーリーと予測不能の展開で描き、人間の心の闇に踏み込んだアンチモラル・ロマンス。空想のモンスターを生み出すゲームデザイナーの内気な青年フリアンは、同僚の誕生日パーティで美術史を学ぶ女性ディアナと出会い、聡明でミステリアスな彼女にひかれていく。その一方で、フリアンは隣人の少年を火事から救ったことをきっかけに、謎のパニック発作に悩まされるように。やがてフリアンが抱えるある秘密が、思わぬ怪物を生み出してしまう。主人公フリアン役に「SEVENTEEN セブンティーン」のナチョ・サンチェス。2022年・第35回東京国際映画祭コンペティション部門出品(映画祭上映時タイトル「マンティコア」)。
マンティコア 怪物총 (6) 개의 댓글
今回も自宅でゲームのクリーチャーデザイン&ゲームCGの仕事をしている主人公に、「伊藤潤二のホラー漫画の新刊が出るから書店へ買いに行く」などと喋らせたり。
『魔界村』に『ファンタスティック・プラネット』を登場させるなど、なかなかの趣味拗らせぶりを発揮。
そして、まったく真っ当じゃない超ヘンテコな恋愛模様。
さすがだ。
最初から最後まで変態だった。
「誰が一番変態か選手権」みたいな映画でした。
タイトルはペルシアの神話に出てくる、人面・ライオンの胴体・コウモリの翼・サソリの尾を持ち、姿の美しさとは逆に人を喰う、伝説の魔獣のそれ。
数々のRPG、カードゲーム、漫画、アニメ、映画に登場するメジャーなモンスター。
代表的なところで、『遊戯王』、『ファイナルファンタジー』、『ダンジョンズアンドドラゴンズ』、『ファンタスティック・ビースト』シリーズ、B級映画なら『マンティコア vs U.S.A.』『マンティコア -湾岸の怪物-』とかにも出てきます。
今作ではてっきり主人公の作っているゲームのモンスターのことかと思いきや、まさかそんな意味とは……って、ネタバレになるから詳細は書けませんが。
展開が予想できずに、超驚きました。
『アバター』の話などでそこそこ盛り上がったりするオーソドックスな恋物語に、フリアンがクリスティアンに語る幼い頃の夢、ゴヤの『我が子を喰らうサトゥルヌス』といったノイズがチラチラ見え隠れするのを眺めながら一体どんなオチに連れて行かれるのだろうかと身構えながら鑑賞していましたが、ほぼ前振りもなく訪れる修羅場からの迷走、袋小路に強引に風穴を開ける展開と静かな終幕、何もかもがこちらの予想にないもので仰け反りつつ、なるほどだからこのタイトルなのかと納得しました。『恋人たちの予感』を観ていたはずが気付いたら『ファントム・スレッド』になっていたぐらいワケ解らない。カルロス・ベルムト恐るべし。
『マジカルガール』の冒頭で長山洋子の“春はSA-RA SA-RA”を流すという常人ではないサントラセンスを見せていましたが、本作では主人公がやたらと日本食を食べたがる辺りにチラッと日本贔屓を見せます。最もビックリしたのがヒロインのディアナを演じているゾエ・ステインがアイドル時代の長山洋子にソックリなこと。そのユニーク極まりない目線の日本贔屓は全部長山洋子経由なのかと改めて驚きました。
長く感じました。後味悪いです。色々緊張感がありました。特に後半は、恐怖でしかありません。早く終わって!もう終われよ!と本当に思ってしまいました。ストーリーは嫌ーな感じでしたが、めっちゃ釘付けになってしまいました。そう仕向けるだけの要素がてんこ盛りです。少しでもその要素を感じ取れなければ、最低の作品だと思うこと必至かと─。
また、仕事終わりに観ることが多いせいか、前半寝てしまうことが多い
ずーっと寝るわけではなく、ガクッ!となった瞬間、ハッ!と起きる、その繰り返しなので、ストーリーを中途半端に理解することに
この「マンティコア 怪物」←(いい間違えたらエラいことに…)伏線映画なので、寝たらアウトなヤツ
しかし、寝た⤵️
後半、シャー!!と気合入れるもイマイチよくわからなかったので、書くことがないデス( ゚д゚)
前作「マジカル・ガール」もよかったので、今作もいい映画だと思いたい…オワリ!
人によっては奇異に感じたり、不快感を抱くかもしれない“偏愛”。欲望とも言い換えられるかもしれないそれは、当人自身も自覚がなかったりする。そもそも本作の監督カルロス・ベルムト自身、デビュー作『マジカル・ガール』から察せるように強い日本アニメ・マンガマニアであり、言い換えれば偏愛を持っている。本作でも『魔界村』、『ファンタスティック・プラネット』、伊藤潤二といった、自らの“偏愛”要素を要所に散りばめている。
偏愛が怪物化してしまう可能性は誰だってあるし、監督も「欲望を法律で取り締まる事はできないし、人は欲望を選ぶ事はできない」と語る。終盤での主人公の行動は、それこそゲーム上でモンスターと闘うプレイヤーのように、怪物=マンティコアを止めるための手段だったのか。でもその怪物は本当に退治されねばならないものだったのか?
結末を不快に感じる人は一定数いるだろうけど、語りがいがあるのは間違いない一本。