世界的ダンサーのリル・バックにスポットを当て、その驚異的なダンスの秘密と彼が育った街メンフィスを描いたドキュメンタリー。アメリカ有数の犯罪多発地域として知られるテネシー州メンフィスのゲットーで育ったチャールズ・“リル・バック”・ライリー。メンフィス発祥のストリートダンス「メンフィス・ジューキン」にのめり込んだ彼は、やがて奨学金を得てクラシックバレエに挑戦。ジューキンとバレエを融合させて踊った名曲「白鳥」のダンスが世界的チェロ奏者ヨーヨー・マの目にとまり、チャリティパーティで共演することに。そこに居合わせた映画監督スパイク・ジョーンズが動画をYouTubeに投稿したことで、リル・バックは世界中から注目を浴びる。唯一無二のダンサーとして多彩な活躍を続ける一方で、故郷メンフィスの子どもたちにダンスを教えるなど今なおメンフィスの街と結びついている姿を映し出す。
リル・バック ストリートから世界へ총 (6) 개의 댓글
ストリートビューを眺めると、都会の“下町”という感じは無く、なぜこの地区が治安が悪いのか、地図からは理解できなかった。
(ちなみに、エルビス・プレスリー等が録音した「サン・スタジオ」や、キング牧師が射殺されたモーテルは地区の外だが、すぐ北側にある。)
自分は「ジューキンとバレエを融合」という謳い文句に惹かれて観に行ったのであるが、この点はあまり期待しない方がいいと思う。
少なくとも、“モダンバレエ”や“バレエ音楽”と親和性があっても、“クラシックバレエ”とは関係ない。
映画の中で、「ストリートと“クラシック”の化学反応」と語られるが、額面通りには受け取れない。
自分は専門的なことは分からないが、ジューキンとは、主に上体を安定させて足で踊り、柔らかい足首でさりげなくスピンを多用するダンスと言えそうだ。
荒れた地面でやれば、スニーカーはたちまち履きつぶされるだろう。
リル・バックにとってバレエへの興味は、(1)つま先で何度も回る、(2)身体を柔らかく使う、(3)足を高く上げるといった要素技術や、ヒップ・ホップに限らずに多様な音楽に合わせて踊れるようになることが目的のようだ。
実際、つま先立ちの長さや運足の滑らかさは、さすがというか、群を抜いているように見える。
ただし、バレエはあくまでジューキンを“拡張”するための方法であり、バレエとのハイブリッドなスタイルのダンスを目指しているわけではないと思う。
例えば「白鳥」を踊るが、題名にあるような「Real Swan」とは言いがたい。肩から肘までは動かすが、手は畳むことが多く、白鳥の“羽根”にならない。
むしろジューキンに“ぴったり”だったバレエは、人形を演じる「ペトルーシュカ」だった。これには非常に驚かされた。
上体を固定したまま、足がスルスル動くので、パリ・オペラ座バレエ公演では観たこともない、素晴らしい表現が実現できる。
バレエに近づいたことで、バンジャマン・ミルピエやスパイク・ジョーンズたちの白人社会に受け入れられて、有名になったと言えるだろう。
しかし、リル・バックは白人社会に迎合せず、自分の“スタイル”を妥協なく貫いているように見える。
“Fワード”満載の作品かと懸念したが、その点は杞憂だった。
リル・バックの身体には、「メンフィス・グリズリーズ」のロゴマークこそあれ、タトゥーは意外なほど少なかった。
「ダンスをしていなければ、ギャングになってしまう」という地域に生きるということ。
ジューキンによって、フラストレーションを吐き出し、自分たちの“文化背景を表現する”ということの本当の意味合いは、自分のような極東の門外漢には理解できなかったものの、興味深い作品だった。
これにより、古典的な音楽とも、新たな音楽とも、コラボレーションが可能になった。
柔らかな骨格と、それを支える柔軟な筋肉が、見たことのない動きを創り出す。
オットットと、つま先立ちになり、バランスを崩したと思いきや、バランスを保ち続けている。
様々な人達と関わり、有名になっても、ストリートを忘れず、子どもたちにダンスを教えている姿が素晴らしい!
常にアメリカンドリームであり続けてほしい。そう願うばかりだ。
ポスターに惹かれて劇場へ。
好きと圧倒的な練習量がもたらした驚異のダンス。
重力や摩擦を感じさせない理解を超えた動きに感動。
ダンスにもダンサーにも詳しくはありませんが
何事も極限まで突き詰めることが出来る
特別な人物にはやはり惹かれます。
治安がいいとは言えないメンフィスで
大きく道を外すことなくダンスに情熱を注げる
環境を与えてもらえたリル・バック。
母親の愛情も成功への重要な要素だと強く感じました。
普段観ることない音楽とのコラボレーション。
そのシンクロ率の高さに驚かされました。
世界で認められても地元でダンス教室を開き
凄く楽しそうに子供たちと接したり、
その人柄は本当に魅力的でした。
数年前に観たオハッドナハリンのドキュメンタリーの時にも感じたが、生活の中で使わない様な筋肉さえ自由自在に操れる身体能力をもっていれば、軽々と踊りの幅を超えて行けるのだ。
リルバックの通過点の様に様々なジャンルの踊りが紹介される中クラシックバレエのシーンもあったが、独特の表現力とまだまだ余力のあるジャンプに驚いた。
リルバックを育てたメンフィスのストリート文化がメインで描かれているのだが、私自身の興味の枠を超えている部分は言葉が追いきれなくて残念だった。